
幕末の英傑として教科書に燦然と輝く勝海舟という人物には、誰もが一度は憧れを抱くものでしょう。
江戸無血開閉を成し遂げ江戸の街を火の海から救った大英雄であり、豪快でサバサバとした江戸っ子気質、さらには『氷川清話』などの語り録で見せるウィットに富んだべらんめえ口調など、魅力的な要素には事欠きません。
しかし歴史の表舞台に刻まれた華々しい功績の裏側には生存者だけが持ち得る強烈なエゴイズムと自分より遥かに優秀だった同僚に対するドロドロとした強い嫉妬心が隠されていました。
今回スポットライトを当てるのは、勝海舟がその生涯において最も凄まじいコンプレックスを抱き、死後にまで徹底的なバッシングとマウントを繰り返した人物、小栗上野介忠順(おぐり こうずけのすけ ただまさ)です。
幕末の真の天才実務家でありながら明治維新という時代の奔流の中で敗者となり、無実の罪で命を落とした小栗上野介。
そして生き残ったことで自らの物語を都合よく書き換え続けた勝海舟。
この二人の間に横たわる凄まじい愛憎劇と現代のSNS社会やビジネスシーンにも通じるセルフプロデュースの光と影をどこよりも深く掘り下げて詳しく紐解いていきましょう。
幕末屈指の天才実務家である小栗上野介という男の圧倒的スペック
勝海舟のドロドロとした人間性を語る前にまずは彼がそれほどまでに嫉妬し、恐れた小栗上野介という人物がどれほど規格外の才能を持っていたのかを正確に理解しておく必要があります。
小栗上野介は文久元年の遣米使節団において目付という重要ポストを務めました。
これは使節団全体の監察役であり実質的な最高幹部の一人です。
当時のアメリカで小栗が見せた洞察力と先見の明は他のどの志士や幕臣をも遥かに凌駕していました。
小栗は単に外国の文明に驚くだけでなく、その経済の仕組みや工業力の根幹を冷徹に見抜いていました。
訪米時にワシントンやニューヨークの造船所や工場を精力的に視察した小栗は日本の未来に必要なものは単なる外国製品の輸入ではなく、自国で工業製品を作り出す基礎技術とインフラであると確信します。
その象徴的なエピソードがアメリカの通貨と日本の小判との交換比率をめぐる通貨交渉です。
小栗は小判に含まれる金の含有量を正確に分析し国際標準に照らし合わせた理論武装によってアメリカ側の大胆な要求に対等に渡り合いました。
さらに有名なのがネジ一本に対する着眼点です。
工場で大量生産される精巧なネジを目にした小栗は、これこそが近代工業の最小単位であり基礎であると見抜き帰国後に横須賀造船所の建設へと邁進することになります。
小栗が目指したのは単なる幕府の延命ではありませんでした。
幕府という組織が倒れることになろうとも、次にやってくる新しい日本の政府が世界と対等に渡り合えるよう近代的な造船所や製鉄所、更には通貨制度や軍制の改革という揺るぎない土台を残そうとしたのです。
この果てしない高潔さと圧倒的な実務能力こそが小栗上野介という男の本質でした。
咸臨丸の真実と勝海舟による死後マウントのからくり
歴史の教科書では1860年の遣米使節において咸臨丸の艦長を務めた勝海舟こそが太平洋を渡った日本人の代表格として描かれがちです。しかし実際の組織図や身分関係を見てみると全く異なる景色が見えてきます。
当時、咸臨丸に乗船していた勝海舟の身分はあくまで船の航海を管理する現場の責任者、言ってみれば船長や操縦士のような立場に過ぎませんでした。これに対して小栗上野介は幕府から公式に任命された使節団の監察官であり国家の命運を背負って交渉を行う超エリート官僚でした。
現場での序列も権限も小栗の方が圧倒的に上だったわけです。さらに言えば太平洋航海中の勝海舟は深刻な船酔いに苦しめられており、実際の船の操縦は同乗していたアメリカ人乗組員たちに大きく依存していたという記録も残っています。
ところが勝海舟は後年になって自身が語り残した『氷川清話』などの談話録において、この歴史的事実を驚くべき形へと都合よく再構築していきました。小栗がこの世を去り、反論することができなくなったのを見計らったかのように勝は次のような趣旨の発言を残しています。
小栗の奴はアメリカに行った時、ただ人形のように座っているだけで何も世界が見えていなかった。あいつが帰国後に横須賀造船所を作れたのは全部この俺がアメリカで現地を案内していろいろと教えてやったおかげさ。
この発言は現代の視点から検証すると明白な歴史の改ざんであり、凄まじいセルフブランディングと言わざるを得ません。
小栗は勝に案内されるまでもなく独自の明晰な頭脳と視察によって近代化の必要性を痛感し、自力で横須賀造船所の構想を打ち立てていました。にもかかわらず勝はすでに故人となった天才の功績を自分の教えの成果としてすり替え自らの好感度と権威を高めるためのダシにしたのです。
死者に口なしという言葉がありますがこれほど見事にかつ冷酷に死後マウントを完遂した例は、日本の歴史上でもなかなか類を見ません。
悲劇の死を迎えた天才に対する冷徹な自己正当化のロジック

明治維新という激動の渦中において小栗上野介の最後はあまりにも悲劇的でした。
薩長を中心とする新政府軍に対して小栗は最後まで武士としての矜持を持ち、無用な流血を避けるために役職を辞して上野国権現堂村(現在の群馬県高崎市)に隠棲していました。農地の開墾や子供たちの教育に専念しようとしていた小栗でしたが新政府軍は彼のあまりにも高すぎる実務能力と幕府への忠誠心を恐れました。
結果として小栗は何らまともな取り調べや裁判を受けることもなく、冤罪に近い形で捕らえられ、烏川の河原にて無惨にも斬首されてしまったのです。
この非道な処刑に対して当時の多くの人々や後世の歴史家は深い同情を寄せました。「日本はあまりにも惜しい天才を失った」「何の抵抗もしていなかった人間にこれほど残酷な仕打ちをするとは」と悼む声が上がる中、勝海舟が放った言葉はどこまでも冷酷であり自己正当化に満ちていました。
勝は小栗の死について周囲にこのように語っています。
小栗は理屈ばかりで世渡りが下手だったから、あんな死に方をしたのさ。俺のように、時代に合わせてうまく立ち回る知恵や要領の良さがなかったのが悪い。あいつの頭の固さが自分自身の身を滅ぼしたのだ。
この言葉の裏には勝海舟独特の狡猾な生存戦略が隠されています。勝は幕末から明治にかけて旧幕府側でありながら新政府とも巧みにつながり、双方の間をコウモリのように立ち回ることで自らの地位と命を守り抜きました。
それは確かに見事な生存術であり江戸の町を戦火から救った要因でもありますが、同時に泥臭く格好悪い生き方でもありました。
自分自身の命を救ってくれた人斬り岡田以蔵が捕縛された際にも、関わりを恐れて切り捨てた上で後年に冷淡な評価を下したように勝は自分が生き残るために踏み台にした人間や道半ばで倒れた美学ある人間に対して「要領が悪かったから死んだのだ」という上から目線の論理をかぶせることで自らの後ろ暗さを必死に打ち消そうとしたのです。
遺族支援の裏に隠された計算し尽くされた自己プロデュース術
勝海舟の凄まじいところは裏で小栗の悪口を叩きその功績を横取りしながらも、表舞台では「義理人情に厚い素晴らしい先輩」を巧みに演じ分けた点にあります。
小栗上野介が斬首された当時、彼の妻は身ごもっていました。その後、厳しい逃亡生活を経て無事に誕生したのが小栗の遺児である国子という女の子です。
罪人の子として過酷な運命を背負わされたこの幼い少女に対して勝海舟は自らの親戚筋にあたる家に引き取らせる手配を行い、生活の支援を行いました。一見すると、これは敵味方に分かれたかつての同僚に対する温かい涙なしには語れない美談のように思えます。
しかしこの行動の裏にある勝海舟の計算高さを完全に見過ごすことはできません。
勝はこの善行を隠れて行うのではなく事あるごとに周囲の人間やメディアに語って聞かせ、自らの談話録にも詳細に記録させました。つまり「朝敵とされた小栗の残された家族をこの広い心と度量を持った俺が救ってやったのだ」というストーリーを世間に強烈にアピールしたのです。
これは現代で言えばSNSでボランティア活動や寄付を行ったことを過剰にアピールして好感度を稼ぐインフルエンサーのムーブと何ら変わりありません。
小栗の存在を利用して自らの美談を作り上げ好感度を限界まで高めるというこの政治的手腕は、まさにセルフプロデュースの天才と言うべきでしょう。小栗上野介という高潔な存在は死後もなお勝海舟の好感度アップのためのツールとして利用され続けたのです。
生き残った泥臭い人間と散った美しき天才のコントラスト
なぜ勝海舟はここまで徹底して小栗上野介という存在に固執し、死後もなおディスり続けなければならなかったのでしょうか。その答えは勝海舟自身が抱えていた根深いコンプレックスの中にあると考えざるを得ません。
小栗上野介という男は自分の利益や保身のためではなく、あくまで国家の未来と武士としての美学のために行動した人物でした。自らの私財を投げ打って横須賀造船所を建設し、最期も一切の言い訳や無駄な抵抗をせず静かに首を差し出しました。その生き様と死に様はまさに文句のつけようがない高潔な天才そのものでした。
一方で勝海舟は生き残るためにあらゆる手段を選びませんでした。
薩長になびきかつての仲間を蔑み、自宅に複数の愛人を同居させてハーレムのような生活を送り、口先と要領の良さだけで激動の時代を泳ぎ切りました。勝自身、自分の生き方が泥臭く世渡り上手ではあっても小栗のような高邁な美学とは程遠いものであることを誰よりも深く自覚していたはずです。
だからこそ勝海舟は恐ろしかったのです。後世の人間が歴史を振り返った時、自分と小栗を比較して「勝は単なる口先だけの世渡り上手だが小栗こそが本当の偉人だった」と評価されることを何よりも恐れていたのではないでしょうか。
その恐怖心とコンプレックスこそが彼に『氷川清話』などの場で小栗をディスらせ、自らのストーリーを都合よく捏造させ続けた原動力だったと言えます。
綺麗事だけで語られがちな歴史の教科書を脱ぎ捨ててこの二人の泥臭い対立構造を見つめ直すと、そこには人間という生き物のドロドロとした本質と凄まじい生への執着が見えてきます。生存者が歴史を書き換えるという歴史の真理を勝海舟はその身をもって体現してみせたのです。
現代における生存戦略としての評価
ここまで勝海舟の下衆とも言えるエピソードや嫉妬心について詳しく解説してきましたが、一方で彼のような生き方が現代社会において極めて強力な生存戦略であることもまた事実です。
組織の中で自分の手柄をアピールしライバルのミスや失脚を上手に利用しながら自分のポジションを確立していく。実務能力では敵わなくとも巧みなトーク術とセルフブランディングによって周囲を味方につけ最終的に欲しい成果を手に入れる。
勝海舟が取った行動は道徳的には批判されるべき点が多く含まれていますが、過酷な競争社会を生き抜くための戦略としては極めて合理的で洗練されていました。
一方で小栗上野介のように妥協を許さず、己の美学と真面目な仕事ぶりだけで勝負しようとする人間は時に組織の政治や時代の波に呑み込まれ理不尽な犠牲になってしまうことがあります。
小栗が遺した横須賀造船所はその後の明治政府において日清・日露戦争を支える巨大な軍港へと成長し日本の近代化を陰から支える最大の遺産となりました。明治の元勲であった大隈重信は後に「明治の近代化の功績はすべて小栗上野介のおかげである」とその功績を絶賛しています。
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くまおの視点👀
生き残って自らの物語を都合よく語り継がせた勝海舟と倒れながらも未来のために本物の遺産を残した小栗上野介。
どちらの生き方に心を惹かれるかは人それぞれでしょう。
しかし教科書に載っている表面的な歴史の裏側にこうした人間の激しい嫉妬や泥臭いマウント合戦が存在していたという事実を知ることで歴史はより一層味わい深く私たちの日常にも引き寄せて考えられる面白いエンターテインメントへと変わっていくのではないでしょうか。
オタク歴史考察シリーズ・・・反応良ければ続けます(生存戦略)

