見えない温度差が炙り出すZ世代マーケティングの落とし穴とサブカル空間の真実

【第0章】それ、本当に“若者の声”なんですか?
─SNS全盛時代にアキバの沈黙はなぜ心地よいのか─
マケ女:「Z世代ってやっぱり自己表現に全振りですよね〜☆(ゝω・)vキャピ」
ある日の会議室。くまおの正面に座った某マーケティング会社の若手女性社員が満面の笑顔でそう言っていました。
手元にはZ世代トレンド調査と書かれた企画書。
あまりにテンプレな展開に思わずラテの泡をひとくち。
彼女は当然のようにこう続けます。
マケ女:「だからまずTikTokで目を引いて〜、インスタに誘導して、共感と拡散を生む設計にして〜…!」
マケ女:「えー、ランチ何食べるかもインスタで検索してますう☆(ゝω・)vキャピ」
くまお:「はあ?インスタで昼飯検索って効率悪っ!」
マケ女:「くまおさん(呆れ)。いま若い子はインスタで調べ物が主流ですから♪」
くまお:「ハウツーも?」
マケ女:「今ググらない世代多いですよ。インスタに何でもあるんで!マジで若者インスタなんで!」
くまお:「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」
強烈な違和感と笑いが込み上げてきそうなくまおはニヒルなのか冷徹なのか情弱なのか。
くまおのまわりの子の意見とは違う偏りかた。その手のマーケティングのプレゼンなんだろうから仕方ないのかもしれないが、これだけ多様化した社会で主張に無理が…。
インスタとTikTokこそ最強と言わんばかりのステレオタイプ(古いw)なもの言いを聞きながら、
ワタシの脳内に静かに浮かんだのは秋葉原のあの風景でした。
アキバには、黙って生きている若者がいる。
例えば、アニメショップの棚の前で真剣な眼差しで作品を見比べている青年。
例えば、ガチャポン会館で無言で中身の確率を計算しながら財布を握りしめている女子高生。
例えば、裏通りで人の目を避けるようにでも確実に目的の店に向かう姿。
彼らは誰かと話すことなくスマホも見ずSNSに投稿する気配もなく、
でも確かにそこに“自分”を持って立っている。
こういう人たちをワタシは何度も見てきました。
SNSには一切現れないだけど秋葉原には必ずいる。
そんな声なき本物の若者たちが今どれだけマーケティングの網から零れ落ちているのかと思うのです。
「私のまわりではSNS使ってない子も結構いますよ」
こう話してくれたのはワタシの友人(20歳女性/大学生)です。
「いや、インスタとかすでに古いですよ。旧Z世代って感じ?」
「Twitter?ていうか今X?ログインしてないアカウントあるけど基本見る専ですね」
「“し活も基本リアルで。池袋や新宿でグッズ漁って満足する感じでストーリーにあげたりはしないかな」
「むしろあえて投稿しないことで距離感保ってる子が増えてる気がします」
彼女の周囲には静かに推すことを美徳とする空気が確かにあるようです。
TikTokに全力で乗っていくマケ女のZ世代のイメージとはどこか異なる印象です。
それなのに「Z世代=SNSの申し子」なのか?
もちろんSNSが生活の一部になっている若者が多いのは事実です。
でもそれだけで世代の声を語っていいのかは別問題。
SNSは「発信すること」が前提の場であり、
投稿者の多くは見られることを前提に自己像を作って発信します。
でも、秋葉原の裏通りに佇む沈黙の若者たちはその世界とはまったく別の温度と価値観で生きている。
この章ではくまおが実際に体験したマーケ女子との小さな違和感から出発し、
「SNSに現れない若者たちのリアル」を秋葉原を通じて描いていきます。
これ以降の記事では、そんな語られないZ世代と、
アキバの異空間構造を比較(以外と面白い)してみています。
そして現代のマーケティングにとってどんな問いを突きつけているのかを
じっくり紐解いていきます。
【第1章】Z世代論の盲点:「SNS=若者の声」という錯覚
「Z世代は自己表現が上手で積極的にSNSで自分を発信します」
そんなフレーズもう何度聞いたかわかりません。はあ・・・。
実際企業のマーケティング資料や広告戦略でもZ世代=SNS世代とする前提が常識のように語られています。
でもそれ本当にZ世代全体を表しているのでしょうか?
■ SNSに投稿する若者は声の大きな“ごく一部”かもしれません
SNSに存在するのは“誰かの投稿”ばかりでそこに黙って見ているだけの人は見えません。
でも実際に数字で見ると「発信する若者」はごく限られているのです。
たとえばX(旧Twitter)では投稿全体の8割以上を上位1割のアカウントが占めているという調査があります。
つまり複数アカウントを増殖させ放置するもの、それが長年積み重なりユーザー数だけは増え続けている現実をマーケティングでは都合良く語られます。また、アクティブユーザーの取り扱いが実際の生きたデータとなるのですがそれもまた同様です。そして、多くの若者は見ているだけで自分の意見や日常をわざわざ発信していないのです。
TikTokにしても投稿者よりも「見る専」が圧倒的に多く
特に趣味系・サブカル系アカウントに関しては非公開アカウントの割合が高い傾向があります。
■ それでも“発信してる若者=全体”として語られてしまう理由
ここで再び登場例のマーケ会社の☆(ゝω・)vキャピ女さん。
彼女が言っていた言葉を思い出します。
「だって、調査対象はSNS上の発言がサンプルなんですもん♪」
そうマーケティングの多くは見える情報だけを拾って設計されているのです。
でも本来「発言しないこと」も立派な意思表示です。
誰にも見せたくない推し活、語るまでもない趣味、言葉にすることで失われる感情──
営業現場のマケ女さんはそうした非言語の感覚を見落としがちなのです。
クライアント側としてはこの情報込みで決裁判断しなければいけないのはもはや常識です。都合の良い数字でお祈りするのはとてもリスキーですから。
■ 若者の沈黙にも理由がある
そこでくまおが実際に秋葉原で見てきた沈黙の若者たちは、自己表現が下手なわけではありません。SNSをしていない訳でもありません。
彼らは語らないことを選んでいるだけなのです。
「好きなものは自分の中で大切にしたい」
「バズらせたくないからあえて投稿しない」
「人に見せると自分の感情が変わってしまう気がする」
そんな繊細な感性が秋葉原という異空間には確かに漂っています。
■ 友人たちの“リアル”が証明する沈黙の重み
再び前出の女子大生の声。
「SNSって人に見せることが前提すぎてちょっとしんどいんですよね」
「本当の趣味とか気持ちの波って誰かに伝えることで崩れる感じがして」
「だからオタスポに来るとSNSの外側で好きなものに向き合えるっていうか…落ち着くんです」
彼女の言葉には単なるデジタル疲れでは済まされない深さがありました。
「若者は発信したがっている」
「Z世代はSNSで自己表現する」
それは一部の声が大きい若者の姿でしかありません。
これがZ世代全体の姿と信じてしまうと、
本当に大切な層──静かに生きるリアルな若者たちを、るごと見落としてしまうのです。
次章ではくまおが考えるアキバが持つ閉じた空気と自由さの不思議な両立について読み解いていきます。
【第2章】アキバに漂う“閉じた世界”の安心感
─なぜ若者は「何も言わなくていい場所」に惹かれるのか?─
SNSに投稿しない若者たちが静かに向かう場所。
それが秋葉原であることにワタシはずっと不思議な納得感を覚えてきました。
言葉を使わずにでも確かに“好き”を感じられる空間。
アキバにはそんな“沈黙の居場所”としての魅力が、確かに存在しているのです。
無論、以前のアキバほどではありません。それが薄れている事が観光地化と同義であると感じます。それを最初にお断りしておきます。
■ 発信しない自由。そこにある“空気のグラデーション”
秋葉原の街を歩いてみると空気の“濃さ”や“距離感”がゾーンごとに違います。
・メイド通り:キャッチの声が飛び交うオープンな観光ゾーン
・中央通り:映える店舗や大型ビジョンが賑やかな商業ゾーン
・裏通り:ひと気はあるのにどこか静まり返ったサブカルゾーン
この中で裏通りや路地にこそ語られないオタクたちのリアルが存在しています。
誰にも話しかけられず誰からも見られていないようで、
でもお互いに「わかる人だけにはわかる」空気が流れている。
その微細な安心感がSNSとは真逆の世界を形成しているのです。
■ 誰にもジャッジされない場所
SNSは“評価”の場です。
「いいね」「RT」「保存数」…あらゆる数字が無言のランキングを生みます。
でも秋葉原の現場にはそんな“数値化された評価”はありません。
・お気に入りのフィギュアを手に取っても誰にも見られない
・アニメイトの上の階に静かに向かっても誰にも追いかけられない
・メロンブックスの奥の棚でBLを選んでいても、咎める人はいない
このジャッジされない自由が若者たちの心をゆっくりとほどいていきます。
■ 「SNSは人格を消耗する」──後輩の言葉が突き刺さった日
くまおの会社の一番の若手男性社員Rくんはこう言いました。
「SNSって自分の一番いいとこだけ見せるために常に編集してる感覚なんですよね」
「でも秋葉原や池袋に来ると何も編集しない“素”の自分に戻れるんです」
彼はメカ系のフィギュアとラノベにどっぷりなタイプで普段SNSでは一切発信しない「見る専」組。
でも秋葉原やオタク街に来たときだけはまるで水を得た魚のように自分の足で、手で、目でコンテンツに触れていました。
「なんか…本物の推し活ってSNSからちょっと離れたところにある気がします」
「今はDiscordにLINEのコミュニティかな。クローズドの方が何でも話せる感じですよね。コンプラとかなんちゃらポリシーとか公開はめんどくさいです。何も言えないですよね。あれ(笑)」
彼のこの言葉が、妙にずっと心に残っています。
■ “語らない快楽”がアキバにある
ワタシが初めて秋葉原で感じたのは「ここは誰にも説明しなくていい場所だ」ということでした。
何を見て、何を買って、何に心が動いたのか。
それを言語化しなくても許される空気がある。
だから言葉で削られない感情が残る。
SNSでは言葉にしないと“存在できない”けれど、
アキバではただ存在していること自体が許される。
この圧倒的なコントラストが
今の若者たちの感性に“刺さっている”理由なのではないかと思うのです。
【第3章】SNSでは語られないリアル
─「投稿しない」という意思が最も深い感情を隠している─
秋葉原の裏通りでただ静かに立ち尽くす若者たち。
彼らの姿をSNSで見つけることはできません。
それは彼らが存在しないからではなく存在を“語らない”ことを選んでいるからです。
■ SNSには“言語化できるもの”しか存在できない
SNSで発信されるコンテンツにはある前提があります。
それは「言葉や映像で共有できること」だけが存在を許される、という前提です。
でも秋葉原の空気感や推しを手に取ったときの鼓動、
店内BGMと心のざわめきが同期した瞬間。
そういうものは、SNSで熱く語り尽くせるものでしょうか?
むしろ言葉にした途端に壊れてしまうような感覚の方がオタク(あえて言う!)には多いのです。
■ 「投稿しない層」はいないのではなく“見えない”だけ
実際のSNS調査データを見ると驚くべき実態があります。
- TikTok利用者のうち動画を一度も投稿したことがない層:68.4%(2024年 データマーケ社調べ)
- X(旧Twitter)の全ツイートの83%は全ユーザーの上位10%が投稿(2023年 国際SNS調査会)
- 若年層における「見る専アカウント」運用率:54.3%(高校生)/49.1%(大学生)
これだけ多くの若者が“ROM専”(Read Only Member=読むだけの人)であるにもかかわらず
企業やメディアの分析は投稿している側の声ばかりを拾い全体を語ってしまいます。
■ 「投稿しない心理」は深い共感や自己防衛の裏返し
SNSで投稿しない理由として挙げられるのは単に面倒だからではありません。
秋葉原で出会った男性(21歳/フリーター)はこう話してくれました。
「自分の好きな作品を誰かの“バズネタ”にされたくないんです」
「感想を言葉にするたびに作品との距離が離れる気がして…」
別の女性(22歳/服飾学生)はこう言いました。
「SNSって“意見を持ってる人だけが話す世界”で“感じてるだけの人”には息苦しい」
「私にとって秋葉原は“何も語らずにいられる”数少ない場所なんです」
こうした発言からも分かるのは投稿しないことは“感情の強さ”の裏返しであるということ。
語らないから、嘘がない。
語らないから、壊れない。
語らないから、残る。
この沈黙の重みを私たちはもっと正面から見つめるべきなのかもしれません。
■ キャピ娘、再登場。「だからまずは共感のハッシュタグから♪」
はい出ました☆(ゝω・)vキャピ マケ社女子!
「やっぱZ世代って共感ですよね〜♡まずは“#推し最高”ってストーリーに流して〜」
……その共感を誰もがしたがっているわけじゃないんですよ。
ましてや自分の好きを拡散したくない層がいることも忘れてはいけません。
それどころか秋葉原には「誰にも見せたくないくらい大切なもの」を大事にしている若者が
ごく自然に静かに生きているのです。
【第4章】秋葉原はなぜ“異空間”として機能しているのか
─空気を守る構造とそして観光ゾーンとの見えない境界線─
秋葉原が“ただの商業地”や“観光地”ではなく
今なお若者にとって異空間として生き残っている理由。
それは偶然ではなく空気を守り続ける構造そのものに秘密があります。
■ 「空気の密度」が保たれる理由は、参加者の“無意識の規範”
秋葉原には明文化されていないローカルルールのようなものがあります(ありました)。
・路地裏では話し声を控える
・撮影OKエリアとNGエリアを自然と読み取る
・マニアックな棚前では、他人の視線を意識しない
これらは誰かが決めたわけではなく、空気を読む文化として自然に染みついたもの。
つまり語らずに成立するコミュニティ」なのです。
SNSでは無理にタグでつながろうとするけれど
秋葉原では“沈黙”の中で共有される一体感がある。
だからこそ空気を壊す存在はすぐに浮いてしまう。
この自然なフィルターがアキバの空気を守っているのです。
■ 境界線:観光地アキバ vs 空気のアキバ
ちなみに今の秋葉原は一枚岩ではありません。
ざっくり分けるとこんなふうに分かれています:
ゾーン | 特徴 | 代表スポット | 主な来訪者 |
---|---|---|---|
観光化ゾーン | 写真映え・SNS拡散前提 | メイド通り、UDXまわり、電気街口 | 外国人観光客、ファミリー層 |
商業ゾーン | 買い物目的・量販店 | ヨドバシAkiba、中央通りの大型店舗 | 一般層・会社員 |
異空間ゾーン | 静かな共感・沈黙の快楽 | 裏通り、ラジ館上層、メロン・とらのあな旧エリア | 趣味人、沈黙の若者たち |
そしてこの“異空間ゾーン”にこそ沈黙層の若者たちは集まってくるのです。
■ 「沈黙ゾーン」は守られている…まだギリギリ
くまおが最近見かけたのはラジオ会館の上層階。
平日昼間、観光客があまり立ち入らないその場所でひとり黙々とグッズを見つめる青年。
彼は数十分迷った末、フィギュアをそっと棚に戻し店員と一言も交わさずに帰っていきました。
買わないの?と思う人もいるかもしれません。
でもワタシは思いました。
「あの時間そのものが、彼にとっての“推し活”だったんだ」と。
SNSでは記録されない体験。
誰にも見せることなく終わる幸せ。
それを許す場所が秋葉原の異空間ゾーンなのです。
■ キャピ女(想像)「えー?でも秋葉原ってもう観光地でしょ?」
たしかにそうかもしれません。
でもそれは“表層のアキバ”しか見ていない証拠です。
くまおは知っています。
秋葉原には“SNSに上がらないアキバ”がちゃんと息づいていることを。
たとえば、メイド通りの奥を抜けた静かな裏路地。
たとえば、ジャンク通りの古びた店舗が静かに開いている朝。
そこにいる誰かは今日も何も語らずでもしっかりと“そこにいる”のです。
【第5章】Z世代マーケティングが失敗する理由
─「声が大きい=多数派」という危険な思い込み─
Z世代マーケティング。
今や企業の戦略会議では“Z”の一文字を外すことがタブーかのような勢いです。
でもこれまで見てきたように
SNSに投稿するZ世代は“ほんの一部”であり語らない層こそが最大多数かもしれない。
この前提を無視したマーケティングがなぜ“的を外す”のか今こそ明らかにする必要があります。
■ 「SNSにいる人だけ見てる」から、ズレる
企業がZ世代を理解しようとする際真っ先に頼るのがSNS上の投稿データです。
- TikTokの流行ハッシュタグ
- Xでのバズ投稿分析
- Instagramのストーリートレンド
確かにこれらは“動いている”情報ではありますが、
それが“静かに推している人”たちの声を完全にスルーしていることには気づかれていません。
つまり、マーケティングの現場では発言しているZ世代しか見ていないという、致命的な偏りがあるのです。
■ 「リアルに推す=SNS投稿」は時代遅れ
Z世代が本当に共感するのは映える消費ではなく、居心地のよさや感情の純度です。
ある大型コンテンツに携わるプロモーターが語ってくれた言葉が印象的でした。
「告知系の投稿よりも、“何も言わずに買ってる人”の動きの方が正確なんです」
「バズってるのに売れないときもあるし、無風でも棚が空っぽになることもある」
これがまさにSNSと実態のズレの象徴。
秋葉原のフィギュア棚が教えてくれるのは「語られない人気」の存在です。
■ キャピ女またまた登場「“推し活”は“エモストーリー化”で拡散力バク上がり♡」
はいはい。ええそうですね。確かにそれも一理あります。
でも秋葉原にいる“沈黙のオタクたち”は違います。
“誰にも見せたくないほど大切な推し”を持っているから黙っているのです。
そういう層に「ハッシュタグつけて!」と言ってもまったく響きません。
むしろそれは“世界観を壊す行為”ですらあるのです。
■ “空気の層”を無視したマーケティングは必ずすべるw
Z世代が敏感なのは“温度差”です。
言葉にしすぎた世界や演出しすぎた空間には冷めた目が向けられます。
そして何より“わかってない感じ”に一番敏感なのいまの若者です。
彼らにとって重要なのは、わかってますよ」のアピールではなく、
“わかってる空気が自然にそこにある”こと。
秋葉原がいまだに若者を惹きつけてやまないのはまさにその“空気の信頼感”に他なりません。
【第6章】SNSの外にこそ未来がある
─語られない世界に宿る沈黙と共感の美学─
秋葉原の裏通りにい沈黙の若者たち。
誰とも会話を交わさず誰にもいいねを求めず、
でもその眼差しには確かな熱量が宿っている。
彼らが語らないことは、感情が希薄だからではないのです。
むしろ逆。感情が強すぎるか語れないのです。
■ 「SNSに出ない=興味がない」ではない
「SNSにあがってこないなら人気じゃない」
「バズらないものは共感されてない」
こうしたロジックはあまりにも表層的です。
それはまるで湖の水面だけを見て水の深さを測るようなもの。
沈んでいる部分こそが本質でありそこには濃く深い共感が渦巻いている。
秋葉原という街はその“沈黙の水底”を静かに支える異空間。
だからこそここには“語られない愛”が存在しているのです。
■ キャピ娘、最後に名言(?)「じゃあもう、SNSやめるしか…♡」
うん、それは極端すぎます(笑)
SNSは便利だし広がりも生むし否定すべきツールではありません。
でもSNS“だけ”を見て何かを語ることの危うさには今こそ気づくべきです。
沈黙の中にこそ本音がある。
“映え”の外側にこそ好きがある。
タグづけされないものにこそ熱狂がある。
そのことを秋葉原の現場で生きる若者たちは誰よりも知っています。
■ くまお速報隊からの提言:“語られないもの”の中にこそ未来がある
マーケティングにしても都市設計にしても教育にしても。
これからの社会が向き合うべきは声なき層(多数派)です。
それは決して無関心なのではなく静かに生きたいという意思表示。
秋葉原の空気はそれを教えてくれます。
語らない自由。見せない美学。
共感されなくてもひとりで大切にできる世界。
SNSの外に確かに息づいている“未来の兆し”を、
どうか見逃さないでほしいのです。
くまおの視点👀そしてあなたは何を語らずにいるのか?
くまおは思います。
推しのこと、場所のこと、友達のこと、自分のこと。
全部を“発信”しなくても心の中で大事にできる世界の方が
きっと生きやすい。
秋葉原という街はそれをそっと許してくれる街です。
だからワタシは今日もこの街を歩きながら、
何も語らない誰かの隣でそっと呼吸を合わせていたいのです。
無論リアルでは静かに見守り静かに街を歩き静かにSNSを拝見し…。
いや、語りたい。だからakihabara.siteを作り運営しています。
たとえ誰もみない記事にも思いの丈を詰める。アフィは入れない。アドは…お世話になっております。
そんあ気持ちで今日も記事を書くのです。
All Write:くまお
協力:謎のxxxxxxx